五十里湖が再生します[2018年03月13日(火)]
去年から取水口の工事をしていた、五十里ダムは、まもなく完了します。3月から湛水を始めまた満々とした姿を皆さんにお見せできます。
さて、この地のダム湖の水が抜けた時に、結構な文化遺産が出てきました。江戸時代に、宇都宮藩、会津藩、日光神領、の三地域が領地争いに明け暮れて、幕府も手を焼いて遂に裁定に入り、「三境境の印」として大きな石にその境を刻したといわれています。これが、水が抜けたので出てきたのです。もともと。会津西街道の延長線上にある、この地は文化遺産が多く、しかしダム建設にともない、多くが消滅した事実も否定できません。
昭和31年に完工した五十里ダムは、その歴史遺産のすべてを水没させ、あれから70年経ってなんと昔の姿が現れてきたのです。見学者も多く、新聞にも大きく報道されました。
ダムの議論は、多くの人たちが語り議論し、もはや要らないなどダム不要論も、全国で起きていますが、少なくとも、この五十里ダムは、地域の洪水調節、凄い雨が多い地域での対策など、当時の日本では要・不要などとは関係なく、とにかく必要なものであったことは言うまでもありません。しかし、このダムも年を重ね、お爺ちゃんになってきました。自然の姿を満面に装い、しかや猿や熊の食料を用意する大自然の中に包まれて、今日も爺ちゃんながら、なんとか頑張っています。
来ていただく方も、この爺ちゃんを優しく見てくださいね~